「写真で綴る我が人生」(自分史)No.4

※コロナ禍は自身を振返る絶好の機会…気軽に楽しんで自分の歩みを確かめる!
♪お世話になった人々にも登場してもらい、家族のヒストリーをまとめてカタチに残してゆく…先ず、年表づくりからスタートした!
■(第1部)人生のスタート~現役時代
【第4章】新しい家族の誕生と兄弟・親戚
①前編 子供の成長と新家庭~子供の独立・旅行~両親・兄弟
     [昭和43年~平成2年](27~49歳)

■結婚の翌年…新会社出向 昭和44年(28歳)新会社設立と同時に「出向」!
①昭和44年新会社の社屋.JPG▲新会社(本社ビル)…千代田区神田神保町
※新会社(子会社)設立準備のため、昭和42年(26歳)東京転勤(調布独身寮)
♪東京転勤の翌年結婚し、「板橋家族寮」が新居となった。
昭和44年、勤務先は「本社の東京支社」から「新子会社の本社」に変わった!

【新しい家族の誕生】
【1】「板橋社員寮」時代 [昭和43年~昭和53年](27~37歳)
■新居(板橋家族寮)は板橋区前野町5丁目
4階建て鉄筋コンクリート寮の住民は24世帯(他県出身者共同生活を体験した)
階下に、京都から転勤の青木先輩一家…ご家族にお世話になった交流を思い出す。
※寮費は月額¥3000だったが、寮の共同浴場故障廃止が原因で¥100となった。
♪購入した「五右衛門風呂桶」をベランダに設置入浴…強烈な愉快な想い出!
家族①新婚27歳寮の公園.JPG▲公園に隣接の板橋家族寮…公園の周辺には、幼稚園、小・中・高校、短期大学、大学…淑徳学園グループ校が揃っていた。♪各校舎は現在新しく建設されたが、周辺一帯の静かな学園環境は50年前と余り変わっていない。

家族①新婚27歳見次公園.JPGよく行った近所の「見次公園」…都区内では珍しい「湧き水による池」
♪区民憩いの場として整備された都市池…手扱きボート遊びや魚釣りも出来るので、今でもおじさん達が釣り糸を垂れている。

家族①新婚27歳ときわ台駅舎.JPG最寄駅「ときわ台」…東武東上線「池袋始発駅」から5駅目(約15分)
常盤台の街は、昭和初期の「田園都市構想」に基づいて開発された住宅地。
♪お屋敷邸宅も多く、今も昭和の面影を残す高級住宅地の雰囲気が漂う。

家族①新婚27歳板橋遼跡地.JPG▲板橋寮跡地…今は淑徳中・高校の「スポーツトレーニングジム」になっている。
♪寮前の草むら広場は子供の遊び場となり、キャッチボール遊びができた。

■便利な直通…都営地下鉄「三田線」開通…昭和43年12月(27歳)
①都営地下鉄三田線.JPG▲都心を縦断する新線が開業・開通…通勤は志村3丁目駅~神保町駅(12駅・23分)
♪ときわ台駅から60分以上だった総通勤時間が、約35分に短縮された!

■職場旅行((昭和45年秋・家族懇親)
家族①新婚29歳御岳キャンプ.JPG▲奥多摩秋川渓谷でバーベキューなど楽しんだ…職場ピクニックへの参加は、新妻の会社関係者への紹介デビューとなった!
♪写真は50年前、新会社設立時の懐かしいメンバーとその家族たち!

■妻の両親来訪
家族①新婚29歳板橋寮の義母.JPG▲(寮の和室にて)…昭和45年新春、京都から新家庭を訪問してくれた!
(写真右から) 義兄(藤沢市に在住現84歳)、義父(昭和57年73歳で逝去)と義母(昭和62年71歳で逝去) 

■長女の誕生…(昭和45年3月)
家族②板橋寮31歳陽子②.JPG▲写真は京都嵐山…こんな時代があった!

■長男の誕生…(昭和46年10月)
家族②板橋寮34歳義母と孫.JPG▲義母は子守を兼ねて、盆・正月に京都から来訪してくれた。
♪高度経済成長期につき結婚時の年収¥760.000は、3年後年収¥1.240.000となっていた…父親が真面目に働きさえすれば、経済的には何の心配もなく養育できた時代…子供のためにも、真面目な会社勤務への責任感が生まれてた!

■帰郷…郷里(丹後峰山)への帰郷は東京から約700km
家族⑧堀家33歳峰山帰郷.JPG▲誕生長男も連れての京丹後実家への帰郷
(写真は昭和47年GW…実家の隣空き地での貴重な記念撮影)

■板橋寮時代の生活
家族②板橋寮34歳板橋寮④.JPG▲左:ベランダと、右:居間…寮の間取りは、当時普通の2KD(6畳+6畳+台所)
♪和服は、祖母が結婚祝いに自分で作ってプレゼントしてくれた。
(※京丹後のその祖母は、昭和49年に逝去・享年80歳?…葬儀参列し墓参した)

■子育て?
家族②板橋寮34歳すべり土手.JPG▲荒川の土手…パパと一緒の草ころがり!

家族②板橋寮35歳板橋寮の兄弟①.JPG▲三輪車の仲良し姉弟と、板橋寮での幼なじみたち
♪居住者は同年輩が多く、階段下に降りれば仲間がいつでもたむろしてた!

家族②板橋寮35歳 (2)土手.JPG▲原っぱで!…可愛い盛りの子供たち…衣服は殆ど母ちゃんの手作りだった。
♪この頃私の休日は、昼寝かゴルフ場…子育ては100%家内任せ時代(反省)!

家族②板橋寮35歳ピクニック.JPG▲何処かへ弁当持ってピクニック…休日ゴルフと平日深夜麻雀にも忙しかったが、時々「流れる水のプール」や「ボール遊び」「室内ゲーム」にも付き合った。

■職場仲間家族との旅行 (昭和49年)
家族②板橋寮36歳新潟妙高旅行.JPG▲北信州「野尻湖」宿泊旅行記念…先輩の佐藤一家、同僚の幸谷一家、後輩の小林君達と「ホンダライフ」で1泊ドライブ旅行…高速道路はなかった!
♪一般に、家族揃っての行楽旅行という習慣の初期ごろだったように思う。

家族②板橋寮35歳新宿御苑.JPG▲母子家庭…3人で「飛鳥山公園?」弁当遠足
※働き盛りだった若手中堅社員…仕事人間の私は早朝出発-深夜帰宅の毎日だった…きっともっと一緒に遊んで欲しかっただろう!
♪家内は、後楽園ゆうえんち「秘密戦隊ゴレンジャー」の他、豊島園遊園地、上野動物園など…三人は都内へ行っても遊んだ様子!

■兄弟会
①熱海・箱根・十国峠経由芦ノ湖…(昭和47年・31歳)
家族⑧堀家34歳熱海兄弟会.JPG▲会社の保養施設「熱海荘」宿泊…箱根十国峠や芦ノ湖界隈を周遊観光案内
♪5人兄弟が1泊2日で各地から集まり毎年、両親と一族の健康確認・近況報告!

②山中湖と富士山めぐり…(昭和48年・32歳)
補欠IMG_4608.JPG▲全員20名集合の「山中湖兄弟会」…富士スバルラインもドライブ観光し、真近に眺める富士山の迫力が印象的だった!(世話担当持ち回りの兄弟会開催地は、兵庫県・有馬温泉、愛知県・明治村、兵庫県・城崎温泉など)

■帰郷①(夏季休暇のお盆里帰り) (写真は昭和48年・32歳)
毎年恒例となっていた夏季(お盆)休暇は、家族揃っての3泊4日帰郷。
♪実家の義姉には随分お世話になった。
家族⑧堀家35歳墓参②.JPG▲墓参…墓はその人が生きていた記録の場所(毎年墓参)
♪祖母や先祖に思いを馳せ…何故か墓の雰囲気は好きだった!

■帰郷②夏季お盆休暇の里帰り) (写真は昭和49年・33歳)
家族⑧堀家36歳規制の海水浴.JPG▲帰省時には子供孝行の海水浴…丹後半島はぐるり全てが海岸線…「天橋立」「琴引浜・掛津」「浜詰浜」「八丁浜」など、美しい海水浴場がいっぱいあった!

■家族同行の職場旅行①(昭和50年・神奈川県相模湖)
家族②板橋寮37歳職場遠足.JPG▲職場懇親(相模湖ピクニックランド)
♪長男・健太を連れてゴーカートなどで遊んだ父子(写真:手前)…バーベキュー昼食の思い出が深い(橘社長、菅生先輩、山本嬢と一緒に写っている)
※ここはその後「さがみ湖プレジャーフォレスト」へ改称となって今、キャンプ、アスレチック、大観覧車などの一大レジャーランドとなっている。

■家族同行の職場旅行②(箱根・伊東方面)
家族②板橋寮37歳職場旅行.JPG▲職場旅行宴会記念…健太(写真右下)を連れて1泊旅行に参加
♪橘社長、高戸常務、島田所長ほか懐かしい創業時本社メンバーと、松井君ほか名古屋営業所グループが参加している。


【2】柏市あけぼの町「借上げ社宅」時代 
    [昭和51年~昭和56年](35~40歳)
”板橋寮での家族4人は狭かろう!”…と昭和51年、会社が戸建ての一軒家を用意してくれて、柏市への転居…♪数年後、現マンション購入の足がかりとなった。
家族③柏あけぼの37歳旧社宅.JPG▲借上げ準社宅(写真中央が転居後建築の新宅)…旧宅は平屋建て(写真は無い)
♪木戸扉門や玄関があり、間取りは10畳+6畳+4.5畳+広い台所と広い廊下…庭付きで広くゆったり、趣きある昭和初期風の古屋敷だった。

■「新しいお家」…何といってもゆったり優雅な古い邸宅…庭には池があった!
家族③柏あけぼの37歳自宅前.JPG▲庭の小さな池にて鯉やフナ、金魚を育てながらの鑑賞…手賀沼で、釣った鯉やフナの池での成長は楽しみだった…そして、真ん中の部屋にはピアノも置けた!

■両親の来訪(歓迎) 
♪(昭和52年)はるばる京丹後から、両親が新居を訪問してくれた。
家族⑧堀家38歳両親来訪.JPG▲新居の門扉前にて…同居の孫2人を連れて(弟も合流)
※会社出勤中に、庭全面を完全整備してくれてた父…父のことは殆ど知らない。
♪戦時中スマトラへ衛生兵とし出陣経験した父、帰国後40歳直前に学校教師を辞め「写真店」を開業した父…もっと人生の苦労話を聞いておけば良かった!

家族③柏あけぼの37歳両親の鹿島神宮.JPG▲両親を「鹿島神宮」や、水郷潮来「十二橋船めぐり」(写真左下)の他、家内を中心に「成田山新勝寺」「浅草浅草寺」などを観光案内した。
♪カメラ愛好家の親父は、初めて?の関東の風景撮影を楽しんだ様子!

■兄弟会
家族⑧堀家42歳兄弟会.JPG▲一族集合(昭和55年)…岐阜県中津川市で宿泊
※京丹後、淡路島、京都市、千葉県など各地から一族全員が集合した
♪「馬籠宿散策」「恵那峡観光」犬山市「明治村・野外博物館」を見学した。

■弟一家と家族交流 千葉県宿泊観光
家族③柏あけぼの39歳香取神宮.JPG▲弟夫妻と一緒に行った千葉県観光(写真は香取神宮前)
♪房総・九十九里海岸の民宿旅行は異常冷夏のため遊泳禁止…止む無く、香取神宮参拝など千葉県観光となった!(昭和55年)

北柏松葉町ライフタウン誕生
※柏市は、広大な住宅団地計画を立てて用地取得に協力…住宅公団が区画整理方式により、長期計画で建設した約55棟大型街づくりを担当。
♪昭和56年市内屈指のマンション群の街、人口1万人超の松葉町が誕生した!
■自宅マンション購入 昭和56年(40歳)          
♪当時公団初…標準占有面積100㎡(5LDK)の広い間取り…新耐震基準建築の人気マンションは、高競争倍率の抽選(柏市在住者は5倍の優遇)入居だった。
家族④松葉町①団地エントランス.JPG▲4丁目第一住宅団地の中央エントランス…花と緑で迎えてくれる。
(全部で6棟・総所帯数は215戸)…ここに入居39年、終の棲家となった!

家族④松葉町②団地の入り口.JPG▲ちょっと高台なので洪水被害の心配は要らない…徒歩3分に中央商店街、スーパー「マルエツ」でお買い物便利、銀行もクリニックも図書館も近くにある。
♪徒歩10分強には「大型ショッピングモール」… 100の専門店・レストラン街、スーパー、ホームセンター、スポーツジムなどが揃っている!

家族④松葉町③緑地庭園.JPG▲緑地庭園…団地内は全て自分の庭園…四季折々、桜・新緑・紅葉・雪景色などで楽しませてくれる…良好な住環境は入居者の満足度が高い!

家族④松葉町④グラウンド.JPG▲隣にグラウンドと緑地公園…入居当時の平均年令は41歳、バイタリティにあふれ働き盛りだった人々の大半は、独立した子ども達を見送った。

■広い間取り(5LDK)…「書斎」のドアーに「社長室」と表示された!
③私の書斎.JPG▲初めて得られた「書斎」は4畳半…パターの練習もできる!

■島津グループ企業の大運動会(昭和60年?)
②職場環境昭和62年島津運動会.JPG▲優勝記念…家族全員参加し、我がグループ「赤チーム」が優勝した!
それぞれ家族も参加の懐かしい人々「東京よみうりランド」

家族旅行の想い出
■家族旅行①京都観光
家族⑤松葉町家族旅行41歳.JPG▲高尾山神護寺…丹後へお盆帰郷の途中、家内の実家(京都市向日町)を拠点にあちこち京都市内観光(昭和60年夏)

■弟一家と家族交流② 伊豆方面宿泊観光(昭和63年)
家族⑤松葉町家族旅行47歳伊豆.JPG▲弟夫妻と一緒に行った熱海・伊東方面観光…伊豆シャボテン公園にも立寄った

■弟一家と家族交流③ 黒部立山方面宿泊観光
家族⑤松葉町家族旅行45歳③.JPG▲(写真左)黒部立山アルペンルートの旅…弟夫妻と一緒に信州方面を宿泊旅行
(写真右)京都東福寺…(京都市内観光:昭和63年)

■那須ロッジ別荘の利用…(会社従業員の福利厚生施設)
平成2年、敷地約270坪にログハウスが建設され、たびたび宿泊利用した。
家族⑤松葉町家旅行45歳那須ロッジ.JPG▲洗濯機・冷蔵庫・テレビなど電気製品一式が揃い、風呂や暖炉、広いベランダもあった(そして何故か?全自動麻雀卓もあった)
♪自宅から車で約2時間、東北方面への旅行時など中継地…自分の別荘のように毎年数回利用して「隠れ家」的存在だった。


■長女の結婚(平成7年)
♪赤い靴はいてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった~♪
長女は「大学卒業」→「都内就職」→「職場結婚」→そのまま、神奈川県藤沢市へ家出した!
家族⑤団欒54歳陽子結婚.JPG▲クレッセントハウス(港区芝公園)…高級フレンチレストランの上階に、小さいチャペルの結婚式場がある…弟夫妻も出席してくれた。

※いつもお仕事で忙しいパパ!遊んで欲しいがガマンする…ダラシナイ身だしなみの時があり、いつもヘンなこと言って人を笑わせるが、それはパパの良いところかも知れない…健康に注意して!”…と中学生の頃「祝誕生日」メモをくれた娘。

♪授業参観や運動会・学芸会などは、すべて母親まかせの欠席ばかり…仕事中心人間で無く、もっと一緒にたくさん遊んでやれば良かった!

ここまでが
「新しい家族の誕生」①(前編)「子供の成長と新家庭~子供の独立」でした。
 次号は②(後編)「リタイア前の現役時代~孫とのつきあいと夫婦旅行」を編集予定です。

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この記事へのコメント

島の爺さん
2020年08月01日 17:20
自分史の編集が若い時代の生活と成長していく子ども達、親や兄弟達との
交流旅行会、編集と同時に当時を偲んでさどかし懐かしさと感慨に包まれ
いる事でしょう仕事が中心で家事等は妻任せ、成長を続けていった社会で
実力を発揮していったブログさん、親や兄弟に会えて感動はひとしおです
現在のコロナに汚染して混乱に陥っている社会、島の爺も何処かで覚悟を
しています、世の中は人の生涯は巡りまわるもの、楽しみを求めながら...
可能な限り元気に過ごしたいもの、続編を楽しみにしています。
感謝、感動、追憶、思い出、あなたの「自分史」から、受けとる、有難う。