「写真で綴る我が人生」(自分史)No.3

■(第1部)人生のスタート~現役時代
【第3章】就職~独身(青春)時代 [1960~1968年](19~27歳)
 (社会への旅立ち~勉学・サラリーマン生活と交友・東京転勤

■社会への旅立ち「就職」(昭和35年:18歳)
国立大学受験に挑戦…昭和35年2月、準備不足で見事に「不合格」!
…進学浪人は認められず、京都市内の企業へ就職することが確定した。
※ロクに挨拶も出来ず、電話の掛け方、身だしなみも知らない新社会人誕生。
♪別れの日、仕事に追われていた両親…誰も見送ってくれない旅立ちだった!
独身①18歳就職列車.JPG▲就職列車…弟一人を田舎に残して移動3時間、一人寂しく到着した「京都駅」
♪どこかに故郷の香りをのせて~くじけちゃならない人生が あの日から始まった~父ちゃん母ちゃん頑張れな!僕もがんばる…♪胸にゃでっかい夢がある~♪

■京都ナショナル電化製品販売㈱へ入社 中京区烏丸下立売(昭和35年4月)
松下電器産業㈱の「京都府地区総合卸販売会社」(系列全国5万店ショップ制度)
♪この頃から日本は、池田内閣所得倍増計画のもと「高度経済成長時代」に突入…田舎の高卒者は当たり前の如く都会に職を求めて家を出て行く!
独身①就職19歳京都ナショナル.JPG▲「1960年製電気冷蔵庫展示説明会」…当時画期的な新技術「ホーロー塗装」冷蔵庫の新製品発表…松下電器の工場見学(新入社員研修会)に参加。
♪同期入社だった中川君、井上君、柊ちゃん、遊んでくれた先輩の加茂さんは、その後どうしているのだろうか?…今、この会社は存在しない!

■上洛当初の住居、鴨川に近いアパート「東楽荘」4畳半(写真は無い)
(上京区寺町鞍馬口下がる高徳寺町)
独身①18歳東楽荘.JPG▲住居は「鴨川」…下宿生活の兄貴が転居した憧れのアパート生活、5分も歩くと鴨川遊歩道に出た…4畳半の狭い部屋での同居だったが快適だった!
※当時の「東楽荘」(家賃¥4.500)は今、3階建マンション「東楽ハイツ(築46年)」(家賃¥37.000+共益費¥4.000/6畳)となっている。
♪簡単な料理?(味噌汁、卵焼き、カレーライスなど)の自炊が想い出…コロッケ3個¥10特売や、ホーレンソウお浸し作りを思い出す!

■テレビ購入(毎日の楽しみ)
独身①テレビ購入.jpg▲新製品「ナショナルブラウン管テレビT-14R」…定価¥73.000を、社員特価販売¥56.000…毎月¥4.000の月賦払いは、初任給料¥8.500円から天引きで購入。
♪プロレス・大相撲中継、歌謡ベスト10などに熱中!…プロ野球中継は?
♪この頃の外食(おばちゃん食堂)では、カレーライス¥250、肉丼、きつね丼、アジフライ定食などが多かった。

■夜間大学へ入学(昭和36年4月:19歳)
独身②通学19歳京都工芸大学①.jpg「京都工芸繊維大学」…大学進学を諦めず工業短期大学部(夜間)電気機械科に入学…卓球部、新聞部に入部…仕事終了後の受講はつい居眠りが多かった。
♪強かった勉学の志…ここから運命の出会いが始まる!

■㈱島津製作所へ入社(昭和37年:20歳)
(精密機器製造業…1875(明治8年)創業の京都を代表した老舗企業)
京都工芸繊維大学で、偶然の出会い…島津製作所社員になっていた中学・高校の同級生・中村菊夫君から「今臨時求人しているよ!」との情報を得る。
♪当時、電気製品の倉庫・運輸業職に違和感を持っていた自分は早速「採用試験・面接」…5人採用枠(受験20名)の難関に見事合格…喜びは一潮だった。

独身③21歳島津本社入社.JPG▲本社社屋…転職入社できたのは我が人生の大きな転換点となった…紹介してくれた同級生中村菊夫君に感謝!(彼はその後「社会に直接貢献したい」と転職、定年まで京都市消防局員として活躍した)

■5年間勤務した島津製作所「西大路工場」
理化器械部へ配属勤務した懐かしい工場事務所…その後昭和50年、三条本社工場への移転と共に土地売却され、この地は住宅街に変身した。
独身③21歳島津西大路工場.JPG▲西大路工場…社員食堂、卓球設備の他、美容師を常駐させ従業員の散髪を就業時間内に無料予約できた…そんな家族的のんびり環境の中での労働は大好きだった!
♪この頃、企業バレーボール部(実業団リーグ)にも所属した。
♪酷暑の事務所には扇風機しかなく、夏季はトレーニングシャツ姿で勤務した。
(給料は¥12.000=年収¥210.000になっていた)

■昭和37年:下宿先転居(20歳)…中京区西ノ京永本町(近くに二条城)
昭和36年兄が結婚でアパートを退去した。家賃の単独負担できず「東楽荘」を退去…職場先輩の紹介で勤務先近くの「保方様宅」に下宿転居する事になった。
独身③下宿21歳保吉宅下宿.JPG▲下宿の6畳和室…通勤距離500m、銭湯200m、行きつけの食事処800mと便利だった…家主のお嬢さん=3歳(写真右下)と5歳がよく懐いて遊んでくれた。
♪この可愛い絹ちゃんは今、もう60歳超、どう過ごしているのやら?…時々大家さんが夕食に招待してくれたことを思い出す。
※室内で電気コンロで作る「日清即席焼きそば」が時々夜食となった!

■新職場での交友
仕事も結構面白かったが、就業時間外はスポーツ、ハイキングや海水浴、旅行など遊びが中心…京都時代の楽しい5年間だった!
①野球、バレーボール、卓球、撞球、バッティングセンター
②旅行、ハイキング、海水浴、飯盒炊飯キャンピング、麻雀
独身④職場21歳海水浴.JPG▲海水浴…ここは福井県若狭の海水浴場だったかな?
♪琵琶湖の近江舞子海水浴キャンプ、丹後海水浴場などにも行ったよ!

独身④職場22歳亀岡船くだり.JPG▲「保津川下り」…亀岡~嵐山渡月橋間16kmを約2時間。昼前に上陸後、料理屋で宴会しながら嵐山観光…職場旅行が盛んな時代だった(昭和38年:22歳)

独身④職場22歳同僚の姉ちゃん.JPG▲ハイキング(長岡京市)…同僚の仲良しアネゴは今、どうしているのかな?
♪比良山(滋賀県)、生駒山(奈良県)なども想い出のハイキング!

■知人会社の従業員寮へ転居(昭和37年:21歳)…当時の住居写真は無い!
※近くに東映京都太秦映画村があった(右京区太秦安井松本町)
独身④職場21歳山ノ内浄水ポンプ場.jpg▲「京都市水道局山ノ内ポンプ場」(住居跡地)…訳有って家賃無料で良いからと知人に依頼され、工場跡地の「職人従業員寮」へ2回目の転居となった…立退き交渉中の工場跡地(従業員寮敷地)の広さは300坪位(豪邸?)あった。
※写真のポンプ場は昭和41年に完成し、7年前に役割を終えたらしい。
♪食事は自炊…ある日田舎から父親が尋ねてくれたことがあり「ご馳走?」した。

■アパートへ転居(昭和38年:22歳)…右京区梅津林口町小山荘(近くに嵐山)
上記従業員寮の引渡し退去期限を迎えて、3回目の転居となった(写真なし)
独身④職場22小山荘.jpg▲バッティングセンター(よく通った)…バイク通勤は20分、銭湯へは200m。
※アパートには共同自炊設備があった。友人と6畳ワンルームで「すき焼き宴会」「徹夜マージャン」…その後は翌朝「バッティングセンター」を楽しんだ!

■幼友達と京都観光案内の想い出 (昭和39年:23歳)
ある日、小学校時代の同級生幼友達が田舎から尋ねてきてくれた。
独身⑤幼友達23歳幼馴染①.JPG▲京都市内観光…平安神宮・金閣寺・竜安寺・嵐山など京都市内の観光案内は、子供の頃を想い出させる1日となった。二人姉妹の長女は近々、実家の跡取りとなるらしい会話…バレー教室にも通っていた彼女は一段と女性らしく成長していた。

■友人達と宿泊旅行の想い出
①北陸方面の旅(昭和39年:23歳)
♪GW利用して、富山出身の木村君が仲良し5人組を車で案内してくれた!
独身④職場23歳黒部峡谷トロッコ.jpg▲黒部峡谷鉄道…トロッコ電車に乗って「宇奈月駅」~「欅平駅」の観光。
(残雪がのこる峡谷川で川砂を溜掘って温泉入浴した)
♪北陸方面あちこち…ユニークな「千里浜なぎさドライブウエイ」(石川県)や永平寺・東尋坊(福井県)など、2泊3日の楽しい5人組旅行となった。

②山口県方面の旅(昭和40年:24歳)
♪瀬戸内海(離島寒村)出身の浜崎君が、実家帰省に同行招待してくれた。
独身④職場24山口秋吉台.jpg▲秋吉台カルスト…古生代の石灰岩からなり、500m級の山脈に囲まれて盆地状の台地…この山麓地下にある東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」と共に観光した。

独身④職場24歳秋吉台.JPG▲その時の記念写真:後列(左から)姉御嬢、清水君、岡本嬢、浜崎君
前列(左から)野村、村井、堀、松田、安藤君…青春時代の懐かしい面々だ!
※浜崎君の実家で魚釣り、タコ獲り、漁船遊覧、母校訪問、海水浴などを楽しんだ後、美味しい新鮮刺身料理をお腹いっぱいご馳走になった。
♪浦島太郎まがいの夢のような想い出!お婆ちゃんの隠居宅で雑魚寝もした。

■③「原水爆禁止世界大会」平和運動活動(昭和41年:25歳)
独身④職場25歳原水禁原爆ドーム.jpg▲広島原爆ドーム(写真は藤城清治の影絵作品)…労働組合活動・平和運動活動?の一環として、夜行バスで参加…核兵器廃絶を共通の目標として現在も活動が継続されている様子!…こんな動きにも参加していたのだった…という記憶蘇り。

■④北海道4泊5日旅行 (昭和41年:25歳)
さすが北海道、印象は強烈だった!
25歳のGWに仲良し4人組は、寝台特急列車「日本海」(大阪~青森)に乗車し…青函連絡船で宿泊乗り継ぎして、翌早朝函館駅に到着した。
♪船内3等客室で「段ボール製組立テーブル」の麻雀を開帳!
独身④職場25歳層雲峡.jpg▲層雲峡…登別温泉ホテル宿泊、登別地獄谷、硫黄山、クマ牧場なども見学した。

独身④職場25歳摩周湖.JPG▲摩周湖…路線バスに乗って阿寒湖へも立ち寄り、観光船でマリモ鑑賞もした。

独身④職場25熊彫り物.JPG▲アイヌコタン集落でアイヌ独特の古代舞踊を見学…その時購入の「木彫りの熊」
♪この時の仲良し4人組は、私の東京転勤に際して記憶に残る送別…嵯峨清滝の川床にて「すき焼き麻雀会」開催して見送ってくれた。

■社内留学(昭和40年:24歳)
本社の事業部管理部門へ一年半の社内留学…経営管理等に関して貴重な勉強した。
独身⑤社内留学24歳社内留学.JPG▲(写真左:本社玄関前)同僚久山君はその後営業幹部として活躍した。
(写真:右)加減乗除はタイガー手動式計算機が当時の主流(喫煙作業?)
♪お世話になった樋上課長はその後工場長、直属上司西川係長(京都大学卒のエリート)は管理部長、同僚だった平井君(一ツ橋大学卒のエリート)は経理部門や海外子会社の経営を経験し、次世代社長候補としての育成経歴を積んだ。

■兄貴新居(戸建)へ4回目の転居(昭和41年:25歳)…北区上賀茂馬ノ目町
昭和41年兄貴の「住宅ローン返済・下宿要請」で転居した…バイク通勤20分
独身④職場25歳上賀茂兄宅下宿.jpg▲(写真は近くの上賀茂神社)…それまでの単身生活から、入浴、洗濯などお姉さんのような義姉のお世話になり、朝夕の美味しい食事を頂き、甥や姪と天国のような共同生活へ…野球などで遊んだ甥の長男は、その後プロゴルファーとなった。
♪甥っ子「堀晋司」プロは、後年「サントリーオープン」時などでは我が千葉県柏市邸を家族連れで宿泊拠点にし、応援観戦を楽しませてくれた。

■婚約者との出会い(昭和41年:25歳)…詳細は差し控える(出会いは秘密)!
独身⑨婚約.JPG▲美しく、明るく、健康的…♪知人を介しての出会いは、はっきり言って私の一目ぼれであり、自分は幸せになれる確信があった。

■東京へ転勤…「調布独身寮」へ5回目の転居(昭和42年:26歳)
入社時配属された「理化器械部」は、”創業業種の維持発展”の趣旨で「新子会社へ分離設立」が内定した…その設立準備要員として東京転勤することになる。
♪東京での直属上司「横地部長」は昭和56年、㈱島津製作所の社長に就任された!(婚約祝意や、恐れ多くの人生ご指導をいただいた)
独身⑧調布寮の野球チーム.JPG▲「島津調布独身寮野球チーム」…剛速球?の「エース」として活躍する。
♪新しい東京の地では、後楽園球場でプロ野球ナイター見物、銀座・新宿ぶらり街歩き、歌声喫茶や映画館、東京読売ランド、千葉県マザー牧場、ハイキングや海水浴など青春独身時代を楽しんだ。

■婚約(昭和42年:26歳)
長女と一緒の老後生活を夢見ていた義母は、東京での生活に異議表明!
♪”数年以内に京都へ戻るからと根拠無き約束した私”→その保証を求められ…「武士に二言は無い!」と発言し→「婚約成立」した。
独身⑨婚約26歳明美さん②.JPG▲比叡山でのデート(東京転勤中)…昭和43年正月、彼女を連れて京丹後峰山の実家両親に帰郷報告し、結婚式を快諾…喜んでもらった!

■結婚(昭和43年:27歳)…京都熊野神社
①所得倍増計画が進みGNPが自由世界第2位になった ②名神高速道路が全面開通③川端康成氏がノーベル文学賞受賞した…そんな時代だった!
♪給料は¥42.000(年収¥760.000)になっていた。
独身⑩結婚祝賀①全員集合.JPG▲全員集合…両家の両親と兄弟達が勢ぞろい。
※いろいろとお世話になった懐かしい人々(半分以上の方があの世へ逝った!)
※数年後、義母には「京都帰任の約束不履行」を謝罪し、止む無くご了解!
♪毎年正月とお盆には千葉宅へ来て、孫たちとの生活を楽しんで戴いた。

IMG_4566.JPG▲兄弟4人(左より)
①次男:親父の家業(写真店)を継いだ(3年前に享年84歳で逝去した…残念!)
②三男:㈱川嶋織物を定年リタイアした後、81歳になった今でも、「織物・染色の基本技法習得校」講師として活躍中。(♪今もゴルフ楽しむ健康体を保持)
③七男:兄貴を慕って?東京の老舗菓子メーカに転職…6歳下の弟は現在73歳!
※長男(淡路島在住)は都合により欠席:㈱鐘淵紡績(カネボウの前身)の主力「洲本工場」に勤務した(健在…89歳にしてパソコン活用:アッパレ!)

■結婚祝賀会(昭和43年11月)
友人の呼び掛けで、会費制「結婚を祝う会」(京都)を企画開催してくれた。
独身⑩結婚祝賀①.JPG▲私を取巻く人々…東京転勤後1年以上経ったのに、職場の管理職、先輩の方々、同僚、後輩たちが大勢集まり祝っていただいた!
♪忘れえぬ人々…友人の松田、村井、浜崎君の他、樋口康一部長、秋山課長、倉持係長、木村、横井、安藤、野村、山田女史さん達の姿が見える。同じ釜のめしを喰い、青春時代を共に過ごした仲間は人生の貴重な宝の一つだった。

独身⑩結婚祝賀村井と松田.JPG▲祝賀会の企画・進行中の松田、村井君…スライドを準備しての映像紹介。
①瀬戸内海の離島実家を案内してくれた親友の「浜崎君」は、昭和55年頃40歳を前にしてこの世を去った。
②毎年賀状交換していた親友の「松田君」は、平成28年77歳で旅立った!
③1歳下のノンビリ親友「村井君」78歳は、スポーツジム通いや野菜作りなど京都亀岡市で、孫に囲まれた悠々スローライフを楽しんでいる!

独身⑩結婚祝賀①登.JPG▲京都市内の会社に就職中の弟も駆けつけてくれた。
♪この頃、弟は何故か私の友人達とも、結構知り合いになっていた!

独身⑩結婚祝賀①御礼.JPG▲最後に「お礼のご挨拶」:52年前のこと…何をしゃべったか忘れた!
「町の青年会」で会長だった兄貴と長く一緒に活動していた「明美(アケミ)さん」は、京都を離れて東京へ旅立つ…♪生まれ育った地域・環境・交友との「さよならお別れ祝賀パーティ」となった!

★次回は(No.4【第4章】結婚と新家族~兄弟と親戚)へ続く
 ①前編:(新家庭の誕生)子供の成長と生活・教育、子供の独立と孫の誕生~
 ②後編:(リタイア前)兄弟会や親孝行、現役時代の家族旅行等
を企画します。

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この記事へのコメント

島の爺さん
2020年07月18日 15:21
ブログさんの「自分史」人生のスタート社会人としての旅立ちだ---
戦後混沌とした日本社会の発展途上の中での社会人としての生活は苦しくも
あったが、やりがいの在る、今思えば懐かしい時代だった、
田舎の若者が都会の生活に揉まれながら友や先輩に助けられて過ごした日々
自分に当てはめて、興味深く読ませてもらった、かなり波乱に満ちている--
43年の結婚式に不参加、を調べたらこの年から二年間アフリカに技術指導で
不在だった伴侶との出会いの経緯もよく分かった、仲良く長生きしないとね
自分史に取り組みながら懐かしく思い出に慕っての編集は感慨無量と推測する,次回を期待して---
太子堂7
2020年07月21日 12:33
なんと言う記憶の良さでしょう、勿論予め整理してないとこうも詳しく列記出来ないと思うけど見事な出来栄えでした、70年以上兄貴としてこの弟を面倒みてくれて感謝!感謝です、京都島津時代から何かとよく誘ってもらい懐かしい同僚の方々を思い出しました、ひとつの時代を生きてきたまさに人生の1ページですね、これからも続いていく人生、宜しくお願いします。